DNOW活動報告

2008年9月活動についての参加者のレポートをご紹介します。

ベトナムでの国際ボランティア

岡山大学 S.A.

今回、岡山大学学長裁量経費の支援によって、日本しかボランティア気候(JAVDO岡山)の活動として、ベトナムのホーチミン市での歯科診療ボランティアに参加することができた。

私はこの活動に応募したきっかけは、かねてから国際ボランティアには興味があったものの、特に歯科ボランティアにおいて、それはどのような形でおこなわれているのか実際自分の目で確かめたいことにある。また、私は些細な儀者を持っていた。ご存知のように、日本における歯科治療は基本デンタルチェアの上で行われ、バキュームやスリーウェーシリンジなどの特殊器具を駆使して治療を行っている。しかし、発展途上国、しかも病院ではない場所で診療を行わざるを得ないので、大型の器具を運ぶわけにはいかない。そうしたときに、どのように治療をすすめていくのか?今回は、ベトナムでの活動を機会に、歯科ボランティアの実情をつかみ、自分が思っていた質問を解決し、視野を広げ、自分が目指す歯科医師像を考えてみたいと思い、参加することに決意した。

現地では、通訳のミーフンさんと日本語学校の学生たちが協力してくれた。初日はTANTHANHという学校で午前は90人、午後は80人前後の小、中学生を健診し、治療した。彼らの親はほとんど農民で家は貧しく、歯科疾患があっても、治療をすることがほとんどないそうだ。私はおもに生徒を誘導したり、治療中ライトで照らしたり、器具を準備したりした。二日目は、HOANGMAIという障害者施設に診療しに行った。知的障害をわずらった子供たちが多いため、治療は初日よりも苦労したように思う。この施設では3歳から19歳の障害者を預かっていて、彼らはここで自立できるような職業訓練やリハビリを経て、社会復帰を果たすそうだ。帰り際、子供たちは私たちに自ら作ったアクセサリーをプレゼントするなど、感動の一場面もあった。

あっという間の五日間だった。ベトナムに行って私がベトナムの医療現状を目の当たりにして、豊かさについて考えずにはいられなかった。日本はモノやサービスに満ち溢れている国である。歯科に関していえば、私たちはたとえ歯が痛くなったら、ためらいもなく、歯医者に行くことでしょう。国民皆保険制度のおかげもあり、資料日が支払えないゆえに、歯医者に行けない人はほぼいないでしょう。しかし、ベトナムのような発展途上国はどうでしょう。歯が痛くなっても、歯科医院が遠かったり、あるいは、歯科医院にいくお金がなかったりという理由によって治療を断念せざるをえない人が多い。今回の診療でも、虫歯を悪化させた結果、抜歯を余儀なくされたケースも多かった。また、日本では、歯科医師の数は過剰と叫ばれているけれど、ベトナムのような発展途上国の場合は逆に歯科医師を養成する施設は限られており、歯科医師の数は不十分なままである。日本の歯科医療技術をいかして、日本の歯科医師が発展途上国で歯科診療活動を行う活動の必要性を今回の活動を通じて強く思った。しかし、冒頭でもあったように、私は材料、機械に限定される歯科診療がどのように海外で行うのか強く疑問に思ったが、現場では私は感動の連続だった。デンタルチェアがないけど、教室で椅子と机でベッドを作り、移動式の歯科器具を用いたり、バキュームを掃除機につないで使ったり、あらゆる知恵を絞り、本来なら移動不能と考えられた歯科診療がこのように私の目の前では蘇った。

私は今回この活動に参加したことで、何かしてあげようと思うと同時にたくさんのことを教えてもらった気がする。ベトナムには、日本のようなモノの豊かさはなかったが、日本にはない豊かさがあった。

待ちは食べ物やくだもので満ち溢れ、いろんな商売で懸命にいきる人々がいた。そのような光景を目の当たりにして、すでに日本人に忘れ去られようとした、人間の本来の営みがそこにあった。治療でかかわった子供たちは、皆目が輝いていた。治療前はあまりの怖さで泣き叫ぶ子供が治療後恥ずかしいながら「カンモン」(ありがとう)と笑顔がほころぶ瞬間を見ると、人に感謝させることのすばらしさを感じた。

この歯科ボランティアを通じて、私はこの活動の重要性を感じながらも、継続していかなくてはならないと思った。歯科ボランティアは一部の人を救うことが出来ても限界はある。重要なのは、いかにこの活動を積み重ねて、最終的には国に呼びかけができるかどうかにあるかと思う。この国の医療現状を根本的に改善できるのは、国の政策次第であるからだ。

私はこの活動を通じて、異文化を学び、ボランティアをすることのすばらしさを感じ、自分が目指す歯科医師像を考えるきっかけとなった。私はこれからもこの活動にかかわり、支援をしていきたいと思った。

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東アジアにおける国際歯科医療貢献実地体験学習報告書

岡山大学歯学部 S.O.

2008年9月12日から9月16日の間、岡山大学の教育研究プログラムとしてJAVDO(日本歯科ボランティア気候)のベトナムでの歯科医療ボランティアに参加した。JAVDOは岡山大学歯学部2期生の中條先生が中心となって行われており、われわれの先輩のご活躍を見ることの出来る非常によい機会となった。

まず13日にFFSC(ホーチミン市ストリートチルドレン友の会)という民間のカトリック系のNGOの事務所で話を聴いた。FFSCの施設はホーチミン市郊外に9ヶ所あり、そこではストリートチルドレンに生活の場を提供したり、教育や職業訓練などを行う施設を作ったりして援助をしている。事務所では施設の子供達が作った小物や雑貨などが売られていた。

2008 検診風景14日は効率の学校に通うことの出来ない小中学生のための施設に行った。ここのいは親が米やサトウキビなどの農業に従事しており家が貧しい子供達が通っていた。小学校・中学校それぞれ約200人ずつがおり、この日は170人ほどを診た。

2008 検診風景15日は3~19歳の知的障害や発育不全の子供のための施設を訪れた。ここでは約90人の子供たちが生活しており、その内15人が住み込みで、75人が通いである。障害を持った子供達がいるため勉強、アクセサリー作りなどの職業訓練のほかに、リハビリも行っていた。 設備が整っているわけではないので、その場にある机や椅子を組み合わせて診療台を作ったり、持ってきた限られた器材と材料で診療するなど、工夫して治療をしていく。また、一回限りの診療であり、時間も限られていたため、検診をして瞬時に「何処をどう治療していくか」を考えなければならない。何ヶ所も治療すべき所があっても、1ヵ所を選んで治療をする。このような先生方の姿を見て、臨機応変に対応していくことの重要性と大切さを実感した。

2008 検診風景私が今回ボランティアに参加した一つの理由として、「なぜボランティアをするのだろう」という根本的な理由を知りたかったことが挙げられる。時間と人手とお金に限りがあり、一回の活動で200~300人の子供を一回きりしか診ることが出来ない、ということに限界を感じていた。

しかし、今回の活動を通じて思ったことは、直接診ることが出来るのは200~300人としても、それに参加した人々が触発され、自分でこうした活動をしていき、またみんなに広めていくことで活動の輪が広がっていくということである。

また、歯科医療ボランティアを行うことで少しずつかもしれないが現地の人々の口腔内に対する意識を変えていくことができ、それがやがて全体の口腔内の健康の向上に繋がっていくのではないだろうかと思った。

ボランティア活動はそれだけを見ると小さいものかもしれないが、間接的に、また長期的に見ると非常に大きなものであると感じ、自分の中のボランティアに対する疑問に答えが見出せた。

将来何かしらの形でこのような活動の輪を広げていきたいと思う。

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ベトナム歯科ボランティア ~笑顔の向こうに~

歯学部4年 A.S.

今回、日本国際ボランティア団体JAVDOの活動に参加させて頂き、様々なことを感じ、学んだ。そのことについて大きく2つに分けて書いていこうと思う。

1つ目は、今回の活動についての私の考えである。

日本に帰ってまず調べた物は、国別(日本は県別あり)DMF歯数である。データが少なかったのだが、2002年の岡山では2.0、2003年の東京では1.8、1990年のベトナムでは1.8となっていた(12歳)。この値は比較的少ない。しかし、ベトナムでは1986年末のドイモイ政策の導入以後、ベトナム経済は急速に発展しつつある。利潤追求を否定した社会主義的計画経済システムから、利潤追求を肯定した市場経済への移行が進む中で、個々人がよりよい生活を求める世の中になった。嗜好品が出回ってきたのも最近のことである。それに伴い、1990年では1.8だったDMF歯数も上昇していると考えられる。事実、私たちが訪れた場所が例外である可能性もあるが、歯式をチェックしたところ12歳前後の児童には平均4本以上は齲蝕歯(C1は含めていない)または喪失歯があった。歯ブラシはあるがブラッシングの習慣がないらしく、また菓子を常に持ち歩いているのだから、この結果は不思議ではない。

このような現状のベトナム社会のために考えられる最善策は、ブラッシング習慣をつけることや、定期的に国民が歯科診断を受けられるようにすることなどが挙げられる。しかし、少し考えれば分かるように、実現させるには国に働きかけ、経済状況、医療制度、保険制度などの見直しが要求される。そのため、治療が一度きりで一人にかける時間が限られているJAVDOの活動では限りなく不可能に近いけれど、今回のようなボランティア団体の根気強い努力が、ほんの少しずつでも行った場所で触れ合った人や患者に影響を与えるので、今後に幸せをもたらせるために必要だと思う。

2つ目には、日常にあるたくさんの『幸せ』について書きたいと思う。

私は3日目に、3歳から19歳の障害を持つ子どもたちがいる施設に行った。そこで私は、漠然とかわいそうだと感じた。偏見かもしれないが、そう感じたのはその子たちがあまりに辺鄙なところに住み、満足に生活できていないのではと思ったからだ。しかしそれは大きな間違いであった。

2008 検診風景うまく歩けない、手が使えない、耳が聞こえない、話せない、片眼が見えない、そんな彼らは笑顔だった。通訳の方に『ここでの生活はどう?』と質問してもらったところ、『楽しい、今日は日本人の人に会えてうれしい』という答えが返ってきた。言葉は通じないが、幸せだとわかった。その施設のシスターも『(話せなかった子が話せるようになる)(椅子に座れなかった子が座れるようになる)(コミュニケーションがうまく取れなかった子がうまくなる)そういった進歩が見られるのがうれしく、それが生きがい』と答えていた。施設に到着するまでの道のりは車一台がやっとで通れるような道で、周りでは子どもからお年寄りまで畳一畳くらいの御座の上で野菜、肉などを売って生活していた。近くにはまともな治療を受けられる施設はないし、服もご飯も満足に買えないだろう。しかし、子どもたちやシスターは私たちに幸せだということを教えてくれた。本当に感銘を受けた。一瞬でも偏見を感じた自分を恥じ、幸せの在り方を教えられた気がした。自分が今この子どもたちやシスター、通訳の方、そしてメンバーのみんなと出会えたことが本当に幸せだと感じた。この感動は行った人でないと分からない。

私は今回こんな体験ができて、身の回り、自分の生活にもまたたくさんの幸せを見出すことができた。また傲慢かもしれないが、私たちは誰かに幸せを運ぶことができると感じた。私はこの経験を活かし、人間性豊かな歯科医師を目指して、日々の生活を有意義に過ごしたいと思っている。

最後に、こんな素晴らしい機会を与えてくれた先生方とベトナムで触れ合えた方々に、感謝の意を表したいと思う。

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